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蝉丸君、登場!



ついに蝉丸君の登場です。彼はなぜそんなに人気者なのでしょうか?私もなぜか「秋の田」の次ぐらいに蝉丸を覚えた気がします。
小野小町同様、顔を隠していることの多い蝉丸君です。蝉丸君は実は天皇の子として生まれたのですが、体のある特徴のせいで天皇の位にはつけませんでした。彼は「目が見えない」のです!!
そんなハンデを背負いながらも彼は琵琶の天才として今もなお語り継がれています。また、歌の才能も認められており、蝉丸君の詠んだ次の一句はあまりにも有名です。

「これやこの行くも帰るも別れては 知るも知らぬも逢坂の関」

「逢坂」は現在の大阪ではなく、滋賀県大津市と京都府の間にある峠に存在した関所のようです。そのあたりには今でも「蝉丸トンネル」という名前のトンネルがあり、彼の偉大さを偲ぶことができます。
さて歌は「これが、行く人も帰る人も、知っている人も知らない人もここで会ってここで別れるという、逢坂の関なのだなあ。」という意味になります。言うまでもなく、「逢坂」が「逢って別れる」の「逢う」と掛詞になっていますね。
逢坂の関は百人一首の中にも3つか4つ出てきます。
こないだ紹介したナゴンちゃんも「よに逢坂の関はゆるさじ」というコワ~い歌を歌っていましたね。
百人一首通の中には「この歌が一番素晴らしい」という者さえいます。そんな盲目の琵琶と歌の天才、蝉丸君。彼は見えない目で、何を見ていたのでしょう。

次は、巷の百人一首ホームページで人気ランキング第1位に輝いている歌を紹介しましょう。崇徳院の登場です。
私所有の百人一首本では、この歌のページはかなり地味に描かれています。ヒゲを生やした爺さんが杖をついて急流のほとりをえらい形相で歩いているのです。
崇徳「院」ということは天皇のはずなのですが、一体なぜこのような厳しげな環境下にさらされているのやら、全くもって謎です。そんなことはさておき、早速歌に参りましょう。

「瀬を早み岩にせかるゝ滝川の 割れても末に逢はむとぞ思ふ」

「滝から流れてくる川の水が、岩にぶつかって二又に割れている。しかし、岩で砕け散った水はまた元通りにひとつになって流れて行く。この滝川のように、私たちの行く末も、たとえ何かあって離ればなれになったとしても、最後にはまた一緒になりたいものだ。」といった意味です。
何が人気かといえば、やはり恋人たちの行く末のロマンを歌いあげているからでしょう。
天皇といえば、もう何も手に入らないものなどなくて何の悩みもないようなイメージですが、このような深みのある歌をよくも作れるものだなぁと感心します。なんでえらい形相で歩いているのかはいまだに謎ですが。