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悟れぬボーズ。



昔の日本には「出家」という制度がありました。簡単に言えば、家族も恋人も全て捨て、僧侶となって俗世間から離れて暮らすことです。
出家は年齢性別を問わず、例えば源氏物語の中でも、晩年の光源氏や藤壺など、かなりの人々が出家を果たしています。
さて今回の主人公は佐藤義清(のりきよ)君23歳です。ノリキヨ君には早くも妻・子供がおりました(この時代では特に早くはないようです)が、あろうことか、他の女性を好きになってしまいました。それも、好きになったのはあの中宮彰子(ちゅうぐうしょうし)。関白道長の娘さんです。
悩んだノリキヨ君、ついに「中宮様は私の手の届かぬお方。。。忘れなければならぬ。いっそ出家してでも。。。」と、この若さにして妻子を置いて出家してしまいます。そして、西行法師と名を変えて詠んだ一句が次のものです。

「嘆けとて月やは物を思はする かこち顔なるわが涙かな」

ノリキヨ君改め西行法師は、出家してもなお人影を見ると「中宮さま!?」と庭に飛び出してしまう有り様。その度に「私はまだ悟れぬのか。。。」と、自己嫌悪に陥るのでした。
歌は「嘆き悲しめといって、月があの人を思い出させてくれるようです。しかし月のせいであるかのように思っていても、涙は次々とあふれ出てくるのです。」といった意味になりましょう。
ボーズとてやはり人の子。 想いはなかなか断ち切れないようですね。

次は道因(どういん)法師です。
彼は昔朝廷の役人をしておりました。「右馬助(うまのすけ)」という、エラい人の馬の世話をする係。これも役人の立派な業務なのです。
彼にも好きな女性がいたのですが、彼女には「馬の世話してる人なんてイヤ!」と、フラれてしまったのでした。
次の一句は、彼が出家して道因と名を変え、かなりの年月が経って年寄りになってから昔を思い出して歌った句です。

「思ひわびさても命はあるものを 憂きにたえぬは涙なりけり」

「あなたに冷たくされて死んでしまおうとも思いましたが、なんとか命だけはつながってきました。死なずに耐えてきましたが、涙だけは耐えきれずにどんどんあふれ出てきます。」といった意味です。
道因がなぜ出家したかはわかりませんが、一般的な出家の理由としてはやはり異性関係のもつれが多いようです。
他には「世の中に嫌気がさした」「私はもう必要なくなった」など漠然としていてわかりにくいものもありますが、ボーズになっても街中で暴れたりする輩も多く、現代とあまり変わりないのであります。