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九州



ポルシェで西へ!

陸上同好会・吟会長の陰謀により、筆者もとうとうホノルル遠征を余儀なくされそうな雰囲気である。 かねてからの変なポリシー「全都道府県を回るまでは海外になど行かぬぅー。」により、12月のハワイまでのたった数ヶ月で全国制覇を達成しなければならないハメに陥った。参考までに、残っているのは北から青森・秋田・山口・大分・宮崎・鹿児島・沖縄の計7県だ。その内の半分は「足で着地するまでは行ったことにならん!」という吟部長の変な定義により、通ったことがあるのに行っていないことになっている不思議な地域である。たいがいにしてほしいものだ。
さて、我が伊賀工場はトンネル窯で出来ているため、お盆休みが長い。10連休だ。その休みを北に使うか南に使うか相当悩んだが、ラッキーなことに行ったことのない県が固まっている九州+α地区を攻めることが決定。休みの前半は山登りだが、残りの6日間で4県を回ることは可能だろう。ということで、山登りの翌日8/16から九州+α旅行が始まったのである。相棒はもちろんカレラちゃんである(もちろん飛行機などではない)。
車で九州入りする方法は何通りか考えられる。「中国道で普通に九州入りする方法」「大阪からフェリーで九州入りする方法」「四国へ渡ってからフェリーで九州入りする方法」などである。とりあえずは普通に陸路で九州入りする方法を選んだ筆者であるが、神戸あたりで急に気変わりし、とっさにハンドルを切って淡路島へとつながる橋を渡り始めた。徳島ラーメンが食べたくなったのである!
明石海峡大橋は天気も良く、最高の眺め。新舞子ファインブリッジに勝るとも劣らない。淡路島を少しでも堪能しようと、高速を降りて国道をひた走る(っていうか、いつものパターン)。花博のせいで渋滞するかと思ったが、案外大丈夫だ。淡路島の南端から今度は鳴門大橋を渡って徳島入り。途中で鳴門のうずしおが見られるかと少々期待したが、残念ながら船が呑み込まれていくさまを見ることはできなかった。
さて、念願の徳島だ。先日たけちんと行って感動に打ち震えた「いのたに」というラーメン屋へ直行。お盆ということもあって店内は客でごったがえしており、わやである。筆者が入って数分後に麺が切れたらしく、「もうおしまい~!」といって客が足切りされていた。もう少しで「くーっ、高速使えばよかったー」とハンカチを噛むところだった。いのたにでは、残念ながら夏場は玉子を使用しないらしく、肉玉というメニューがない。よって、先日食べた時よりも少々マイルドさがなく、塩辛いイメージだった。とはいえ、それを差っ引いても充分満足だ。こうなったらこないだ行った「専門亭」とかいうラーメン屋にも行ってみたくなったが、こちらの方は休業日で閉まっており、がっかりである。

九四国道フェリーで九州入り!

さて、四国へ入ったからにはもう西へ西へと進むしかない。国道を西へひた走り、昔U1氏が「国道が終わって、フェリーが国道フェリーとかいう名前で、降りたらまた同じ国道だった。さすが国道フェリー。」と変な誉め方をしていた九四国道フェリーをめざす。
九四国道フェリーは、愛媛県は佐田岬のほぼ先っちょから大分県の佐賀関町まで約1、2時間おきに出ており、大変便利な乗り物である。所要時間も70分で、師崎-伊良湖間とほぼ同じぐらいだ。
佐田岬のほぼ先っちょである「三崎」に到着した瞬間、船が出ていった。アンラッキーである。さきほどのラーメン屋で運を使い果たしたのであろうか(早~)。次の便まで2時間もあったが、フェリー乗り場ではちょうど盆踊りが催されており、地元民のふりをしてたこ焼きを食べたりして時を待つ。
その時、ある若者が話しかけてきた。どうやら筆者の愛車に興味津々のようだ。「これはミラーは後期型だけど、タイヤが前期型ですね。一体何年式なのですか?」などとかなり詳しそうである。聞いてみれば、その若者もポルシェ乗りなのだそうだ。若者のポルシェは89年型のカレラで、ポルシェ乗りなら誰でも知っている高級店で買ったため、550万円したと語った。金持ちである。
そうこうする内に船が来た。筆者はトップバッターで(さっきの船がちょうど行っちゃったからトップバッターなのだ)船に乗り込み、ウトウトする間もなく九州上陸となった。もう0時を回っていたためすぐ寝るつもりだったが、九州上陸で興奮しているせいか眠くもなんともなかったので「ええーい、行っちゃえー!」と走り始めた。しばらく走って、道の駅を発見したところで車中泊となった(ちなみに宿泊所はひとつもとっていない)。ポルシェではさすがにエンジンとエアコンをつけて寝るなどという暴挙は出来ないため、車中泊には向いていないことを痛感。

熊本・鹿児島でラーメン三昧!

寝苦しいため、朝早く起床した。「そういえばまだ大分県の地を踏んでいないっ」と気付き、トイレに出掛けたところで行ったことのない県リストから大分県が除外された。油断も隙もないルールである。たいがいにしてほしいものだ。
予定よりも早く九州上陸を果たしたため、かなり行程に余裕が出てきた。一路鹿児島へ向かう予定だったが、阿蘇山経由熊本ラーメン経由鹿児島行きに決定。学生の頃行った阿蘇山はもう筆舌に尽くせぬ景色で、ぐうの音も出なかった記憶がある。今回もその感動を味わいたかったのだが、残念ながら天気が良くない。実をいうと、この後九州で太陽を見ることは一度もなかった。それどころか、まる3日いた九州で、まる3日大雨洪水警報が発令されたのである!「いつものことですから…」と肩を落とす大雨男の筆者だが、雨なら雨でやることはある。まずは温泉だ。
阿蘇山麓の「阿蘇白水温泉・瑠璃」という館に入り、露天風呂につかる。なかなかのよい風呂だ。阿蘇から熊本市内へは一時間程度。まずは、横浜のラ博にも出店している「こむらさき」で一杯やることにした(一杯といってももちろんラーメンだ)。ここの「王様ラーメン」はこがしニンニクがポイントで、スープにコクを出している。ハシゴする予定なのにうっかりスープまで飲み干してしまった。
次は、市役所裏の「桂花」だ。東京でもお見かけする名店である。ここのラーメンは、スープの上にタレがかかっているようなスープなのだが、どこかで味わったことのあるようなラーメンである。確か桂花は初めてのはずであるが。「肥後のれん」か何かだろうか。ハシゴだというのにうっかりギョーザまでたのんでしまい、腹一杯で鹿児島へ向かう。
雨足は次第に強まり、ついには国道の一部が冠水し、通行止めとなってしまった。地元民が「こっちのセコ道なら通れるっちゃ!」と教えてくれたため、前の車に必死について行き、ようやく鹿児島県入り。夕方頃には鹿児島市にたどり着き、早速ラーメン屋を探す。
駅近くのアーケード街の「和田屋本店」という店に入った。おススメは味噌ラーメンだということで少々意外だが、それをたのむことにする。これがまた、とんでもない旨さ!ひき肉と一緒にキャベツが入っており、これが味噌スープと合うのである。まさに「最高で~す」の一品だ。さらに、ギョーザも旨い。ギョーザというより、ギョーザのタレに秘密がありそうだ。店のおばちゃん(というよりばあさん)に話を聞くと、どうやら名古屋にも支店を出すそうである。これは行かざるを得まい。大満足で店を出て、また道の駅で就寝。大雨の中、サウナ状態のポルシェである。

指宿といえば、砂むし風呂!

次の日は、朝早くから鹿児島南端の「開聞岳」という山に登ろうという作戦だったため、早めにスタート。今日こそ良い天気でありますように…という願いも虚しく、前述のとおりこの日も大雨警報だ。さすがに雨の一人山歩きは危ない。ハンカチを噛みながら断念し、気を取り直してすぐそばの指宿を目指す。指宿といえば、砂むし風呂である!やってみたかったんだなこれがっ!
「砂むし会館」というお手軽に砂に入れる会館があったので早速行ってみた。まず、受付で浴衣とタオルを渡される。浴衣はパンツもなにもはかず、そのまま着る。タオルはインド人のターバン用だ。
この会館内には要所要所に説明書きがされており、「タオルは持ちましたか?」「ここでサンダルを履いてください」「砂むし風呂はこちらです」と、まるで注文の多い料理店のように看板が続く。しかし、初心者にはそれが嬉しいサービスである。
砂むし風呂は男女混浴であり、浴衣を着ているとはいえ女性とすれ違ったりするとドギマギしてしまう(汗と一緒に煩悩も流れて欲しいものだ)。
さて、砂むしの現場は砂浜である。普通の砂浜にちょっとした屋根が付いており、雨や太陽は一応大丈夫なようになっている。砂かけおばさんの指示に従ってあお向けに寝転ぶと、瞬く間に砂をかけられ、タオルを巻いた顔だけ出したご想像どおりの状態となる。最初は「意外と暑くも熱くもないし、大丈夫だなー」という感じだが、5分経った頃から急に汗が噴き出し、「あついよー」となる。あんまり我慢するとよくないらしく、だいたい10~15分が目安なのだそうだ。筆者も10分ぐらいであがった。客はおばちゃんが多いのかと思いきや意外や意外、若いおねえさまが多い。さすがにお盆だけあって子供連れの親子も多い。誰でも気軽に入れるところが魅力だ。
砂むしのその後だが、内風呂で浴衣をポイッと投げ、体の砂をシャワーで洗ってから普通の温泉に入るという仕組みである。そこの温泉は海の香りがし、なかなか面白い湯だった。
ところで指宿市だが、なかなか面白い取り組みをしているようだ。「アロハシャツの街」だそうで、市長から次のような宣言文が出ている。その全文を紹介しよう。「指宿市長のアロハ宣言 明るい南国のイメージと観光客を温かく迎えるアロハ精神を高めるため指宿市民は本日から9月までユニホームとしてアロハ・ムームーを着用することをここで宣言する 平成12年5月28日 指宿市長」ということだ。「アロハ精神」というのもよくわからないが、その会館の従業員は皆アロハ・ムームーらしきものを着用しており、まあまあの浸透度であると察する。来年も続けるのであろうか。
帰り際にも「忘れ物はありませんか?」ときた。最後まで注文の多い温泉だったなーと油断していると、階段を降りたところに「忘れ物はありませんか?もう一度お確かめください」とあった。完敗である。
砂むし風呂は小雨で助かったが、また土砂降りが始まった。鹿児島市で昨日の和田屋の支店に入り、今度は味噌ではなく普通のラーメンをたのんだ。まあ普通という味である。やはりおススメは味噌なのだろう。
そのまま鹿児島とはおさらばし、そのまま宮崎県の高千穂方面を目指す。ところが、近道をしようとしたのがいけなかった。その国道がえらい山道で、すれ違いもギリギリ出来るかといったグネグネ道が延々続くのだ。これでも国道?国は何をやっているの?と言いたくなるが、地図で道が細いことを知りながらも強硬突破を選択した筆者が悪い。結局途中で挫折し、恐ろしくなるほど遠回りながらも熊本の八代方面へ逃げる方法を選び、その日の高千穂は断念。夜中にやっと熊本市へ到着し、疲れ果てたためそのまま道の駅でバタンキューとなった(道の駅は便利だなあ)。

神が降臨!高千穂峡!

バタンキューとはいっても、暑さのためまたしても朝早く目が覚め、仕方なくそのまま高千穂方面へ向かうことにした。途中、「そうだ、もう一度阿蘇山に行ってみよ。」と思いつき、急遽山を登ることとなる。しかしこの日は朝もやがひどく、再び残念な結果に終わった。
気を取り直して高千穂へ。高千穂といえば、高千穂峡だ。阿蘇が噴火したときのマグマによって出来た渓谷で、神が降臨して作った絶景ともされている。高千穂峡に到着した時には珍しく雨が上がっており、歩って巡る渓谷はなかなかの景色であった。滝のそばでカップルがボートを漕いでいたりして微笑ましい。さすがの筆者とて「滝に打たれろコノヤロー」などとは思いもしない。
昔戦で破れた何人かの兵士が落ち延びてこの渓谷を渡ろうとした際、槍を向こう岸に突いて谷を飛び越えようとした者は落ち、手前に突いた者は飛び越えて逃げることが出来たという逸話の残る場所もあり、人間の心理を突いていてなかなか面白い。
高千穂峡は宮崎県にあるためここでもまた行ったことのない県がひとつ減り、この時点でついに九州制覇となった。まるで信長の野望である。
さて、本来ならばこのまままたフェリーで帰ってもよいところだが、たんこぶのような山口県が残っているため放ってはおけない。全く迷惑甚だしい県である。気力を振り絞って昔山口県に降り立った記憶を探したが、通ったことはあるものの地面を踏んだ証拠が見当たらない。残念だが、山口県へ行くため北上である。
勢い良く走り出したポルシェであるが、特に方向オンチではない筆者も河童の川流れ、全く逆の方向に走り出してしまっていた。過ちにはすぐ気付いたが、「そうだ、もう一度阿蘇山を通って行こう」とあくまでも昔の栄光にすがりつき、三度阿蘇へと向かう。しかし大雨洪水警報で良い景色が臨めるはずもなく、そのまま反対方向の麓に下りて大分は別府方面へ向かった。

別府8ヵ所地獄めぐり!

別府といえば温泉だが、雑誌によると「8ヶ所地獄めぐり」とかいって、地獄のように温泉が沸騰しており、そのそばで温泉に漬かれるというかなり生ツバものの企画があるようだった。
「8ヶ所も温泉入ったらどうなっちゃうのかなぁ」と心配しつつ、まずは「白池地獄」と呼ばれる地獄の入口に到着。1ヶ所だと400円だが、8ヶ所全部のクーポンを買うと2,000円とお値打ちらしく、筆者は迷わず2,000円のものを購入した。
ところが、どうも様子がおかしいと気付いたのは少し後のことだった。阿蘇と指宿でタオルを使ってしまっていたため、そこでタオルを購入しようとした筆者「タオルを買いたいのですが」とおばちゃんに尋ねるも、おばちゃんは「は?ここには売っておりませんですが」と言うのだ。さらにしつこく「ああ、では風呂のそばで売っているのですね」と聞くと、「えぇ、風呂のそばなら売っていますよ。もうちょっと坂を登っていくとお風呂屋さんがたくさんありますよ」。今度はこちらが「は?」という番である。次のおばちゃんの一言で全てが片付いた。「地獄めぐりは、お風呂ではないのですよ」。後ほど雑誌を食い入るように読んだが、確かに地獄が「風呂」だとはどこにもかかれていない。筆者の「別府=温泉」という思い込みがいけなかったのだ。
早く温泉に漬かりたいのに、8ヶ所も地獄めぐりをしなければならないとは、えらいことになった。地獄は、なんだか寝ぼけたようなスポットだった。地獄自体は予想どおり温泉が噴き出して大湧谷のようになっており、成分によって色が異なるため、赤い色の地獄は「血の池地獄」などという名前がついている。寝ぼけたスポットだが、なんだかがんばって町おこしをしているのが伝わって、ちょっと面白い。
各地獄には、「地獄だけでは客が呼べぬ」と判断したのか、地獄+αの施設が付いている。たとえば、地獄のとなりに動物園やワニ園があったり、お約束のヘビセンターがあったり、なかにはバナナ園があったりする。「現在バナナはなっていません」とかかれた看板が立っていたりして、涙が出そうである。「海地獄」では、温室の中に2m近いハスの葉っぱがいくつも浮かんでおり、その上に子供が乗って極楽浄土祈願をする様子の写真が貼ってあった。ここまでくるともはや、地獄だろうと天国だろうと関係なしである。
6つを制覇したところで「もうモト取ったからいいや」といういわゆるまーえー状態に陥り、すかさず温泉に向けて車を走らせたがまたしても方向を間違え、間違えたところに残り2つの地獄が待っていたのでやむをえず入ることにした。
「竜巻地獄」では本物の間欠泉が噴き出しており、これは一応見てよかった、という感想だ。諏訪湖の間欠泉センターで、間欠泉が噴き出す直前にモーターの音が聞こえた忌まわしい記憶が脳裏をよぎる。
結局8つの地獄を全て満喫し、清々しい気分で「ひょうたん温泉」へ。ここは少々古ぼけた湯で、キレい好きにはどうかと思う場所であるが、一応砂むし風呂もあるようなので大分県で砂にまみれたい方におススメかもしれない。
さて、そのまま山口県へ向かうのも味気ないので、博多を目指すことにした。由布岳のそびえる湯布院をとおり、夕方過ぎに福岡へ。さっそく車を停めてラーメン屋台へ。しかしここでも落雷をともなう豪雨にみまわれ、ズブ濡れになって適当に入った店が「八方亭」という長浜ラーメンの屋台だった。かなり期待したが、豪雨のせいでもうラーメンどころではなかったためあまり集中できず、堪能できなかったことが悔やまれる。その日は高速道路のSAで夜を明かすことにした。

話題の一覧へ!そして山口県スルーで帰還!

例によって朝早く目が覚めた。これも毎日だとさすがに慣れっこである。
このまま山口へ向かうかと思いきや、すぐに高速を降りて小倉に向かう。そう、巷で話題沸騰中の「一蘭」というラーメン屋へ行くためだ。もちろんこのラーメン屋は博多にも存在するが、雨のためそれどころではなかったのだ。一蘭は24時間営業という特異な店で、数年前まで会員制であったという恐るべき店なのである。小倉駅の南側の狭い路地にその店は存在した。ご飯時にはそりゃもう長蛇の列が出来るのであろうが、運良くまだ早朝だ。早朝からラーメンを食べることの出来る我が胃袋に乾杯である。店の看板には「日本初元会員制の店」と書かれており、何も知らない人はちょっと入りにくいかもしれない。店内を見るとさらに驚く。各カウンター席の両側に仕切りがあり、隣が見えないようになっているのだ。どうやら「ラーメンに集中してください」ということらしい。前にも暖簾がかかっており、従業員の姿も見ることが出来ない。備え付けの紙に注文を書き、ボタンを押すと手が紙を取りにくる。出てきたラーメンは、筆者の想像を超えた旨さだった。文章でその旨みを表現することが出来ない。スープを飲み干さずにはいられないという状態に陥ったのは久しぶりであった。その旨さ、隣の見えない仕組み、店員と顔を合わせない仕組み、元会員制、といった情報が筆者をなぜか動揺させ、その店が怖くなった。しかし、帰り際にかわいらしい店員の女の子がひょっこり「ありがとうございましたぁ!」と顔を出した時、その呪縛から開放された気がした。またその内来よう。
大満足のラーメンをすすったとあってはもう山口県などどうでもよい。秋吉台にでも寄ろうかと考えていたが、どっかのSAでトイレに立っただけでそのままスルー、その日の夕方にはもう上野に帰っていた。
走行距離2,600キロ。天候には恵まれなかったが、楽しい旅だった。食べたラーメンは8杯。課題も残った。阿蘇山や開聞岳。由布院の温泉にも今度行ってみたい。なにはともあれ、大分・宮崎・鹿児島・山口をゲット。残るは3つである。なんでこんな苦労をしなきゃいけないんだろ。
おわり。