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命を懸けた歌合せ。



天徳四年のお話。時の村上天皇のお屋敷で、「内裏歌合」なる歌合わせが催されることになりました。歌合わせとは、同じテーマの歌を2人で詠み比べ、優劣を競うイベントです。
「恋」というテーマの歌合わせに選ばれた一人は、平兼盛でした。兼盛は苦心の末、次のような素晴らしい歌を作りました。

「しのぶれど色にいでにけりわが恋は 物や思ふと人の問ふまで」

「人に知られないように耐え忍んで内緒にしていたのに、どうやら顔に出てしまったようです。『恋をしていますね』と、人に問われるまでに。。。」といった意味です。現代でも有名な一首です。恋をし始めた頃の、ほろ苦いんだけど楽しいような気持ちが良く表れていますね。
さて、兼盛を迎え撃つ役に決定したのは、壬生忠見でした。あの有名な壬生忠峰のご令息です。
忠見は、奇遇にも兼盛の歌と似たような雰囲気の歌を作っていました。

「恋すてふ我が名はまだき立ちにけり 人知れずこそ思ひ初めしか」

「人に知られぬよう思いはじめたばかりなのに、『恋をしているらしい』という私の噂がもう広まってしまったよ。」という意味です。 全くもって、兼盛の歌とそっくりです。
会心の出来に2人とも自分が負けるなどとは夢にも思っていません。「これで私も大歌人の仲間入りっ!」と、意気揚揚に歌合わせ会場へ馬を走らせるのでした。
さて、ついに2人は歌合わせで激突。出来の良い二首に周りの者たちも「兼盛どのの歌がよいのう。」「いやいや、忠見どのの方がまさっておる。」と、甲乙つけがたい様子。審判役も「う~む、これは困った。仕方ない、引き分けにしようかのう。。。」と言って首をひねっていましたが、その時です。
「しのぶれど。。。」口ずさんだのは、村上天皇でした。それを聞いた審判は「兼盛どのの勝ち!」と判定を下し、ついに決着がついたのです。
ショックだったのは他ならぬ忠見でした。忠見はこの歌合わせの後、負けた悲しみのあまりご飯が食べられない病気になって、死んだと言われています。昔の人は、愛する人のために、自分の地位を守るために、命を削る思いで歌を詠んだのですね。
それにしても、百人一首では40番が兼盛、41番が忠見と、隣同士になっています。これは偶然なのか、それとも定家のお遊びなのか。。。どちらにしても、オツですねぇ~。