昔むかし、かつて都のあった奈良の山から、京都の御所に八重桜のお届け物が来ることになりました。 当時は歌合わせや恋人とのやりとりなどの他にも、物をいただいたりする際にも歌をお返しする風習があり、御所のエラい人である道長もある女性に歌をお願いしたのです。 ところがその女性は「その大役、伊勢大輔(いせのたいふ)にさせましょう!」ということで、突然彼女に大変な役が回って来たのでした。 もちろんそのような場所で歌を詠むなどということはやったことのない伊勢大輔ちゃん。「が、がんばらなくっちゃ!」と肩に力の入る日々が続き、とうとうその当日がやってまいりました。 「あの娘、失敗すればいいのにね。」などという嫉妬のささやきがあちこちで聞こえる中、伊勢大輔ちゃんは 「いにしえの奈良の都の八重桜 けふ九重ににほひぬるかな」 という力作を披露したのでした。 現代においても有名なこの一句。 「昔都のあった奈良から、八重桜が届きました。そして今日はこの九重(御所)に、昔と同じ匂いがたちこめていますよ。」といった、なんともかわいらしい歌です。 これには一同びっくり。伊勢大輔に役を任せた女性も、道長も、桜を贈った人も、みんな満足な面持ちのまま会は終わりを告げるのでした。そして、この一句により、伊勢大輔は歌の才能を認められ、こうして百人一首にも名を残すこととなったのです。 伊勢大輔ちゃんに大役を任せた女性は、別に意地悪をしたわけではありません。おそらく彼女の才能を見抜いていたのでしょう。そしてその女性とは、押しも押されぬ「紫式部」その人だったのであります。 源氏物語であまりにも有名な紫の式部ちゃんですが、言うまでもなく歌においても大活躍。その紫の式部ちゃんの一句は次のようなものです。 「めぐり逢ひて見しやそれともわかぬまに 雲がくれにし夜半の月かな」 「やっと出てきたと思った月が、見えたか見えなかったかもよくわからないぐらいの内に、もう雲に隠れて見えなくなってしまいました」。 実は、単なる月の歌ではありません。 久しぶりに会いに来てくれた友達が「急ぐから、じゃあね」といってすぐに帰ってしまい、「なぜそんなに急いで行ってしまったの?久しぶりにもう少しお話しがしたかったのに。。。」という切ない気持ちを歌ったものだと言われています。 特に派手さのない一句ではありますが、普段の思いを月に例えてしまうところが、スケールの大きさを感じます。参考までに、ユネスコ選定の「世界の偉人」に日本人で初めて選ばれたのが、この紫の式部ちゃんです。さすが! |