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ホモ



読者の中に本物の「ホモ」の方がいたら気を悪くしないでいただきたいが、今回は一部の「他人の不幸好き」に大好評の「私のホモ体験」である。私としては一刻も早く拭い去ってしまいたい過去なのであるが、ここにきてその文章化が決定し、ついに歴史の1ページに名を刻むこととなってしまった。私が大学3年生の頃の話である。
当時私は赤城山の別荘地(坪5万円)を売るといういわゆる「土地ころがし」のバイトをしていた。土地ころがしと言っても、もちろんバイトがお客さんの相手をして売るなどということをするわけではなく、土地の区画を整理するための小さいフェンスを組み立てたり、現地に行って土地の様子を見たりフェンスを立てたりするという大変楽チンなバイトであった。
その会社の土地は赤城山だけに及ばず、時には軽井沢の土地を見に行ってそのまま帰って来るといったヨダレの出るほどおいしい回もあり、やめられない。その上お昼付きの日給12,000円だった(時給にすると2,000円ぐらいだ)ことをみてもバブル崩壊を思わせぬ地面師の実力は全くもって想像の域を絶する。
そんなある日、その会社の社長(推定60歳)がこんなことを言ってきた。「数日後に千葉に出張の予定があるのだが、どうしても足がないので1泊2日で送り迎えしてくれんか。ただ運転するだけで何もしなくていい。往復で3万円でどうだ?」と。誰が断ろうか。運転するだけで3万円もらえるなんて、ほとんど時給∞である。何もせずに牛丼75杯分ゲットなのだ。しかしこのおいしいエサに釣り針が付いていることなど頭が牛丼に支配された私には到底気付くはずもなく、まだ見ぬ世界への第一歩を自ら踏みだそうとしていた。
社長は「実は現地までの地図が違う場所にあるので、悪いが取りに来てくれんか」と言ってきた。その場所がまた曲者なのだ。榛名山麓にある小さな事務所らしく、家から2時間もかかるような秘境なのだ。しかしそれぐらいのことで3万円を棒に振るのは貧乏学生にとって許されないことなので、翌日の夕方社長の待つその事務所へと向かった。
やっとのことでたどり着いたそこは、事務所というよりは「小屋」という感じである。重い戸を開けて最初目に入った部屋には布団が敷いてあり、私は「こんなヘンピなところにあるんじゃあ泊まってくこともあるわな」と思いつつ社長のいる部屋へ入った。社長から千葉までの地図を手渡されて用を果たした私は「それではさようなら」とばかりに立ち上がったのだが、社長が「今から帰るんじゃ夜遅くなって大変だろう。今日はここに泊まっていったらどうだ」と言い出した。私は「こんな汚いところで寝るのは嫌だなあ」と今考えれば少々筋違いな理由で断り、また「それではさようなら」とばかりに立ち上がったのだが、今度は「まあ腹も減っただろうからラーメンでも食べていきなさい」と誘ってきた。さすがの私もラーメンというアイテムの誘惑には勝てず、しばらく滞在することが決定した。
床に転がっていた「とっぱちからくさやんつきラーメン」をすすりながら社長は「実はワシは占いが出来るんだ。手相を見てやろう」と言ってきた。私は「ほんとかよ」と疑惑の念にかられながらも、断る理由を発見できずに左手を出していた。社長は私の手を注意深く握りながら、「君は初体験は中学生の時だ」といきなり核心に迫って来た(何の核心だか)。残念ながら私はそんなにおマセさんではないどころかその当時でさえ微妙だった(どっちでもいいじゃん)のだが、一応虚勢を張って「中学ではない」とだけ言っておいた。
ところが次の「君は今腰が痛いだろう」という捨て身の占い(?)が見事的中し(本当に痛かったのだ)、私の心の中で社長の株が急騰した。社長は「たぶん右と左で足の長さが違うだろう?それが腰の痛みにつながっているのだ」と言い、さらには「ワシが今治してやるからちょっとズボン脱いでみろ」と誘ってきた。私は「おぉ、この腰の痛みが治せるのか、すごいなこのオッサンは」と下級の神でも見る思いでズボンを脱ぎ、うつ伏せになった。オッサン、いや神は「う~ん、どうも足の付け根のあたりのバランスが悪い(付け根のバランスって?)みたいなんだよなー。」とブツブツ言っていたが、ついに「これじゃちょっとよくわからないから、パンツも脱いでくれ」と言い出した。さすがの私もここまでくれば(ちょっと遅いが)事態の異常に気付き、最初見た部屋に布団が敷いてあったことや「泊まってけ」と言われたことなどを走馬灯のように思い出しつつ、ズボン片手にほうほうの体で脱出した。外に出る時の戸の重さは今でも忘れられない。
さて、その数日後に社長から電話があり、「葬式が出来たのであの千葉行きはなかったことにしてくれ」ということであった。最初からあの小屋へ誘い出すための計画的犯行だったのである!そしてうまくいった暁には千葉の旅館でもいただいてしまおうという魂胆だったのだ!結局その後そのバイトには1回も行かなかったので、社長がそのエナジーを誰に向けて放出したかは定かでない。
今回は未遂に終わったからまだよかったものの、「うまい話はそうあるものではない」という名言を改めて肝に命じる私である。しかし「あそこで一線を超えていれば人生の幅がもっと広がっただろうに」とほんの少し残念にも思う私なのでした。おわり。