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アルバイト



昔「電器屋」「ラーメン屋」などのバイトシリーズを書いたことがあったが、ひとつ忘れていたのでご紹介しよう。大学・短大をご経験の方ならかなりの確率でやったことがあろうおいしいバイト、それは「家庭教師」である。
筆者がやった家庭教師は合わせて3軒。まずは、当時前橋市在住のA君(仮名)の登場である。
彼の場合は、昔書いた「筆者を○○教団に入信させようとした謎の女」からの紹介で、中学3年生で高校受験を控えた1年間をみることになったのであった。
A君の家はなかなか変わっており、御両親はスナックを営んでいるため夜家におらず、夕方に筆者がお邪魔するころに「それではお願いね~」といって出勤する感じだった。兄がいるようだったが、彼は大阪で料理の勉強をしており滅多に帰って来ないとのこと。よって、どちらかと言えば「ひとりっ子兼カギっ子」といったタイプである。
A君は非常にイイ子で、筆者の教えをひとつひとつわかろうと努力していた。反抗期のようで多少親に歯向かう姿もみられたが、まあ暴力を振るうわけでもないので問題はない。お母さんは店で働くだけあってなかなかの美人で、出勤前に風呂からあがってたまに裸同然の格好でウロウロしているため、一瞬たりとも油断できない(何の油断?)。一度だけ御両親のお店に飲みに行ったことがあるが、マスター・ママの他には「トドで~す!」と言って出てきた変な源氏名の太っちょがいるだけで、前橋中心街の割には冴えないお店だった(紹介者の怪しい女性によると、金持ち相手のお店だということだが)。
さてA君だが、前日に「受験に勝つようにトンカツと、粘れるように納豆を食べなきゃ!」と言って食べたらしいのだがその努力の甲斐もむなしく、本命・滑り止めともに落選。その後一度も顔を見せないというわけにもいかず、大変苦い思いで彼らとの縁は終わった。
ちなみにA君はその後兄を追って大阪まで料理の勉強に行ったと聞く。人生なんて学校の勉強だけではないのだから、もしかしたら彼にはそれでよかったのかもしれない。
2人目は「今度こそ」と言ってまた例の怪しい女性が紹介してきた、高崎市在住のB君である。
彼は筆者の長きにわたる家庭教師生活の中で、最もサイテーであった。おとなしくはないが妙に引っ込み思案で、親には意見できることから典型的な「内弁慶」であると察する。
親もちょっと変わっていて、これまた典型的な「カカア天下とからっ風」。お父さんなどこちらが挨拶しても何も返して来ないほどビクビクしている。
このお宅にはハナレがあって、筆者が到着したらハナレのインターホンで本人を呼ぶ仕組みになっていた。しかし、B君は学校から帰ってきたらすぐに寝る(なんでだろ)らしく、しかも一度寝たら滅多に起きないらしく、いつも何十分か待たされ、ひどい時には「今日はすみませんがお引き取りを」なんて言われたこともあった。全くもって、勉強の前に私生活について親がみてあげるべきだと思うのだが、変な家族である。
B君は本当に勉強欲(?)がなく、単語を10回書かせるだけでも一苦労。しかも全てがイヤイヤなので、全然身に付かない。たまにキツく「やれ」と言うと、やるだけやってふて腐れて出ていってしまうこともあり、一応給料をもらっている身としては、ちょっと困る。
彼は「巨人大鵬玉子焼き」系で、野球は巨人ファン、相撲は地元の琴錦のファン、食べ物はカレーライスのファンといった感じだった。野球は本当に好きみたいで、親の許しを得てキャッチボールをしたり、バッティングセンターに行ったりしてなんとか更正させようとがんばる筆者(別に悪いヤツではないのだけど)。バッティングセンターではお気に入りの木製バットを持ち込むも、内角球につまってバットを折ってしまう(軟球なのに!)など、相変わらず冴えないB君である。
彼の家で唯一楽しみだったのが「ゴハンが出る」ということで、これは貧乏学生にとってはなかなか助かるサービスである。勉強中にお母さんが「ゴハンよ~」と呼びに来るのだが、一度彼の誘いに乗ってトランプをしているのを見付かった時は気まずかった(ダメな先生よのぅ)。
試験前日、景気付けにみんなで焼肉屋へ乗り込んでリキを付けるも、やっぱり本命・滑り止めともに落馬。その後どうなったかは天のみぞ知る。
0勝2敗という輝かしい成績の筆者だが、3度目は友人の後を引き継いで始まった。
ここでのバイトは面白かった。高校3年生のマサシ君と、小学5年生のマサトシ君という、名前のややこしい兄弟を見ることになったのだ。
マサシ君は野球部のキャッチャーで、県内の高校から引く手あまたという超大物中学生。趣味はギターで、一度聞かせてもらったが、めちゃくちゃ上手い。詳しくはわからないが、あんなに上手い人見たことない、というぐらいスゴかった。
弟のマサトシ君も兄の影響で野球チームに入っており、やっぱりギターをやっているということだった。ところが性格は2人とも微妙に異なり、兄は「物凄い努力家で、一日何時間でも勉強して食らいついていくタイプ」、弟は「それほどやらなくても勉強できる、頭の回転が物凄いタイプ」。それ故、兄が弟に「お前もうちょっと真剣にやれよ」という愛のムチが飛ぶ場面もたまに見られた。
筆者的には「小学生など勉強しなくてよし」という思いが強かった(月謝も一人分しかもらってなかったし)ので、受験を控えた兄の勉強を中心に見て、合間に弟のお絵描きなどに付き合うというスタイルを取っていた。
特筆すべきは弟のマサトシ君の方で、小学生なのにやたら英単語を知っており、特に「サタン」とか「ストーム」とか、何かに出て来そうな単語に強いようだった。そして、いつの頃からか兄の勉強に興味を持つようになり、これは事実なのだが、「コサイン60度は2分の1(合ってる?)」ぐらいのことはわかるようになってしまっていた。
彼らとはいろいろゲームをして遊んだり、ゴハン食べに行ったりして仲良く付き合った。そういえば筆者が大学を卒業してから群馬に遊びに行った時泊まる場所がなく、仕方なく彼らの家に行ってマサトシ君に「親の前で『先生泊まっていきなよ』って言え」と命令して泊めてもらったこともあった(なんて人だ)。
兄は努力の甲斐あって外国語大学に見事合格を果たし、筆者の勝率は3割3分3厘と首位打者並みになった。
マサトシ君からは今でも年賀状が来るが、確かもう大学生になったとかならないとか。早いものよのう。年賀状にはいつも「To-Heartのナントカちゃんです」などとイラストが描かれており、しかも「先日東京までイベントに行ってきました」などと書かれていたりして、少なからず筆者の影響が出ているようで涙を誘う。すまんマサトシ。おわり。