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アルバイト



「じゃあ、ウチでバイトしない?」と言われたのは、留年が決まってヤケラーメンをすするカウンターで女将に言い分けを聞いてもらっていた時のことであった。当時群馬大学では、教養部(1年生)で留年するのは100人に1人と言われており、その難関を見事突破してもう一度教養を積むことになったのである。
ここで少しだけ群馬大学について説明しよう。群馬大学(略して群大)には工学部、医学部、教育学部があり、それぞれ1年生は教養部として前橋市の学舎へ通う。2年生になると、教育学部と医学部は同じ前橋市のキャンパス、そして工学部だけは桐生市のキャンパスへと移るのだ(筆者は文系だと思われがちだが実は工学部出身だ)。
そのラーメン屋「ぽぽ」は群大生の御用達スポットであり、もちろん女将も群大の昇級システムは重々承知であり、「留年した→来年も前橋にいる→しかも暇」という推移律を完成させての「じゃあ、ウチでバイトしない?」だったのである。
運送屋を解雇されて無職だった筆者は「昼も夜もバイト中はラーメン食べてよし」に釣られて雇われの身となった。「ぽぽ」は、いわゆる脱サラのおっちゃん(マスターと呼ばないと怒る)と先ほどの女将が夫婦でやっているこぢんまりとした店で、店内はカウンター5席にテーブル3つというコンパクトな造りだ。平日は夫婦水入らずでやっているのだが、土日は少しお客さんが多いのでバイトを雇っているのだ。
ラーメン屋の仕事は、過酷であった。主な仕事は、ホールの接客、出前、電話応対、米の炊飯、調理補佐、盛り付け等多岐にわたる。その合間に、箸がなくなったら補充し、ギョーザのタレがなくなったら補充し、お客さんが「水~」と言ったら注ぎに行く等の細かい心配りも必要とされる。
前述の仕事を大きく分けると「店内」と「出前」になるわけだが、まずは店内の仕事について述べてみよう。お客様は神様だというが、バイト君にとっては客が来ると働かなければならないわけで、不愉快この上ない。しかしそんな筆者の心中も知らず、客はやって来る。ドアにありがちな「チリンチリーン」を聞くと、犬のように嫌な気持ちになったものである。
嫌な客ベスト3は、①こども②注文がよく聞こえない客③珍しいものをたのむ客、である。①は、「小さい茶碗ください~」とか「布巾ください~」とかいう余計な注文が多い上に、帰った後えらいことになっているパターンが多い。しかも他の客がいるのに堂々と泣かれたりした日には、スープの中に放り込みたくなってくる。②は、ラーメン屋に限らずどの世界でも嫌なのだが、「えっ?」と3回ぐらい聞かなければならないこともあったりして、うんざりなのだ。しかも結局聞き間違えて違うものを作ってしまい、大目玉を食らうことしばしばである。③は、例えば「メロンソーダくださ~い」とかいう注文だ。ラーメン屋でメロンソーダなんて、普通たのむ?しかし、メニューに載っているのだからたのまれても文句は言えない。ラーメンや定食以外のサブキャラはバイトの担当であり、もちろんメロンソーダもバイトの仕事なのだが、滅多に注文がないので作り方を覚えておらず、また大目玉なのである。
ホールの客相手はまあまあうまいことやっていたが、厨房仕事となるとこれがまた難しい。何をやっても怒られるのだ。例えば、「米を17合炊いてくれい」という命令を受けた場合、きっちり17合はかってやっていると「遅い!」と言われ、だいたい17合になるよう適当にやると炊き上がりがべちょべちょだったりして「こんなもん客に出せるか!」と言われてしまうのである。ラーメン屋の修行で師匠に怒られて泣いている脱サラ志願者の気持ちがわかろうというものだ。
そんな中、仕事の邪魔をするモノがあった。出前の電話である。
出前の電話は、会社みたいに「折り返し電話する」という技が使えないため、聞き漏らすとえらいことである。たまに「チャーシューメンとギョーザ、あとチャーハンと中華丼お願いしますぅ。チーン」と切ってしまう人もいて、後で「あれっ、今の誰だったんだろう」ということもあった(もちろん大目玉)。
出前は、商品をオカモチに入れて車で運ぶというスタイルだった。持って行って、代金をもらい、帰ってくる、というのが一連の流れであるが、そうは問屋がおろさない事件がたまに発生する。
まず、「えっ、ウチたのんでないですよ?」というパターンだ。これは「鈴木さん」のお宅でしばしば発生した。さすがに筆者も学習し、ありがちな名前のお宅は「どちらの鈴木さんですか?」と聞くようになったが、「神保さん」という変な名前なのに「違います」と言われた時はまいった。
次に、何かのはずみでオカモチが倒れ、えらいことになった場合である。オカモチを倒したのは2回だ。1回目は、なぜか道の真ん中に大穴があいており、倒れるべくして倒れたケースである。この時は急いで店に帰り、こぼれた分スープを継ぎ足してお届けにあがった(メンはそのまま)。
2回目は、遠心力に勝てずに横転。この時はラーメンではなく、ワカメスープであった。たどり着いた頃にはほとんどワカメのみになっており、考えた挙げ句、試しにそのまま出してみることにした。客はワカメスープの異変にいち早く気付いたようで「?」という顔をしており、さすがの筆者も「すみません~、途中でこぼしちゃいました~」と潔く謝るハメに陥った。結局スープはいらないということなので(あたり前だ)そのまま帰ったわけだが、マスターにはもちろん内緒である。
出前もやっている内に次第に慣れ、どこに誰が住んでいるかわかるようになってきた。客と仲良くなると毎回リンゴをもらったりなんだりで得することもあり、なかなか心地よい。
ホールや厨房での仕事も板につき、これからというところでその事件は発生する。「店をたたむ」というのである!実は店の景気が悪くて潰れるわけではなく、道路の拡張で立ち退きを余儀なくされたというわけらしく、マスターも最近体調がすぐれないということでもうラーメン屋はおしまい、ということなのだ。
店じまいの前日、忘れもしないクリスマスイブのことである。数人いるバイト君や常連客等「ぽぽ」ゆかりの人間が自分の私用もうっちゃって(筆者に影響なし)集まり、ぽぽ最後の晩を飲み明かした。
日付も変わってしんみりし始めた頃、有線から当時流行っていた米米クラブの「君がいるだけで」が流れる。誰からともなく「たとえば~ぽぽがあるだ~けでこころが~つよくなれる~こと~」という合唱が始まり、もう二度と客の来ない店の壁やテーブルにマジックで「ありがとう」と書いて別れを惜しんだ。
数日後、そこにぽぽの姿は無かった。今はもう広い道路の下に眠っていることだろう。最後の晩に記念にもらってきたクリスマスツリーを先日部屋に飾ってみた。その当時と同じ輝きを放つそれは、筆者の心から想い出となってあふれ出たものをいつまでも照らし続けていた。